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記録だけではなく。


私の写真って今までは「大事な記録」であり、

「生きた証拠」「聞こえていた証拠」「奇跡の証拠」として、

いつまでも忘れたくない思い出を撮影することがほとんどでした。

いまこうして撮影できるのも

いまこうして遠出できるのも

いまこうして誰かと笑えるのも

もう二度と訪れないかもしれない奇跡だと思っていたから。

知らず知らずのうちに、

明日に対する不安が多かったんだろうなって今となっては思う。

明日になったら聞こえなくなってるかもしれない

明日になったら歩けなくなってるかもしれない

なんともいえない不安を抱きながらも、

それなら、楽しいとおもえる今を大事に残そうって、

ただただそれだけ。

もし、全く聞こえなくなって、

もし、持病が進行して遠出できなくなったときに、

元気だった頃の写真をみて、

そのときの嬉しい気持ちになれればいいな

というそんな思いが私のスイッチ。

でも、昨年末に写真業界に戻り、

不思議なご縁で海外の写真家に出会ったり、

心優しい職場の先輩方とお話しするうちに、

「記録」だけではなく、

「作品」として撮る気持ちも大事なんだということを教わる。

写真家じゃなくても、

写真を撮る技術があるからこそ、

作品として撮る前提で見つめることも大切なんだなって。

作品として向き合うからこそ、

見えてくる眼差しや伝えられる想いも増えていく。

記録として半分、

作品として半分、

どちらの撮り方も大事にしたい。

これから、

どんな自分の写真に出会えるか楽しみ。


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